情勢との関係によって様々な形をとりながらも、大衆の進歩的な部分が大衆としての有形、無形の発言の力であると見るのが誤りでない以上、大衆の新たな一部となって来ている知識人的要素が、やはり大衆の声をもつ筈である。ところが、非常に微妙な時代的な錯綜がここに加っている。所謂良心的知識人的要素が、経済的文化的現実に即して観察すれば全く大衆の一員でありながら、知識人的意識とでもいうようなものの残像で観念の上では自分たちのインテリゲンツィア性を自意識しながら、実際の結果としては大衆のおくれた底辺に順応しているような現象がある。良心的、進歩的、そして又、左翼的な理論を持っているような人々の間に、この現象は現代日本の歴史性として現れている。日本の解放運動は恐らく世界のほかの国にも例のない独特の波瀾を経験するものと思われるが、万人の心に生々しい最近の敗北の結果、日本の労働者階級の歴史の若さから生じた所謂観念的な傾向への反省が一種の感傷さえ伴って、今日では大衆の日常性、大衆の現実に即すという方向へ、どっと傾いている。

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